司法書士は本人確認の最後の砦

——電子社会の中で再発見される“人の目”の価値**

近年、電子契約やデジタル身分証が急速に広がり、印鑑文化は時代遅れだと語られることがあります。しかし、この批判は表面的であり、本質を捉えているとは言いがたいと考えています。そもそも日本の印鑑制度は、実印と印鑑証明という二段構造によって本人確認を制度的に担保し、近代日本の安全な取引社会を支えた高度なKYCシステムでした。

一方、欧米は長い間署名文化に依存してきましたが、署名は偽造の容易さという弱点を持ち、本人確認の手段としては十分ではありませんでした。その不足を補うため、公証人制度や証人制度が巨大化し、さらに匿名口座や資金洗浄が社会問題となった結果、ようやく20世紀後半になってKYCの法制化が進むことになりました。本人確認の制度を国家として整えた点では、日本の方が先を歩んでいたと言ってよいと思います。

では、現在のデジタル化の波の中で、本人確認はすべて技術任せになっていくのでしょうか。私はそうは考えません。電子署名は改ざん防止や秘密鍵による署名の真正性の証明には有効ですが、「その鍵を持っていた人物が真に本人か」「意思能力や代理権が正しく存在しているか」といった、質的な本人確認を保証することはできません。さらに、暗号技術とその突破技術は表裏一体で進歩しており、量子技術の発展は既存の暗号基盤を揺るがす可能性すら指摘されています。

こうした状況の中では、むしろ「人が人を確認する」というアナログな行為の価値が高まっていると感じます。特に不動産取引のように、数千万円から数億円の財産が一度に動く場面では、形式的な署名や電子証明だけでは十分ではありません。「その人が本当に本人なのか」「意思は自由なものか」「代理人の権限は真正なものか」。こうした確認を現場で担う専門職は、ほかに存在しません。

司法書士は、単なる書類作成者や手続の代行者ではありません。
取引の安全を担保するために、本人確認の最後のゲートキーパーとして存在している職種だと考えています。電子化が進むほど、画面越しでは見えない人間の反応や態度、違和感の察知が重要になります。この領域は、AIでも暗号技術でも代替できない、人間ならではの判断領域です。

不動産登記制度は、国民の財産権の安全を守る社会インフラです。その根幹を支えるのは「本人確認」と「意思確認」であり、司法書士はそれを現場で実際に担っている存在です。この役割はデジタル化によって薄れるどころか、むしろ責任と重要性が増していると感じています。

技術が高度化すればするほど、人の目と判断力は価値を増していきます。
司法書士は、これからも変わらず、そして今まで以上に本人確認の最後の砦として社会に必要とされ続ける存在であると考えています。